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『翔子、ニュース見てる？ 台風上陸したみたいだよ！』
「悠長に言ってる場合？ あんたの家って川の近くでしょ？」
『大丈夫大丈夫、うちはマンションだか―――』
携帯電話の通話は、そこで切れた。
この雷雨に加えて、通信が混雑しているためだろう。
相変わらずの豪雨に加えて、風がますます強くなってきた。
窓の外は、半ば暴風雨の様相を呈している。
翔子はふぅ、とため息をついた。
「周りが浸水したら、マンションは陸の孤島になっちゃうのよ？」
もっとも、翔子だって他人事ではなかったかも知れない。
台地に立ってる一戸建てだが、中古で古いつくりだ。
暴風雨が激化したら、突風で屋根が吹き飛ばないとも限らなかったからだ。
――もし今屋根が吹き飛んだら、この部屋はメチャメチャね。
２階の自室で荒れ狂う外を眺めながら、翔子は苦笑した。
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ＡＣＴＩＶＥ ＳＯＬＩＤ ＧＩＲＬＳ
★ 第２章 秘密結社メドゥアス ★
第５話 少女たちの再会・後編
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少女は、ふと目が覚めた。
……だが、周囲は真っ暗闇。
やがて少女の記憶が蘇る。
家で、１人で留守番をしていた。
もう何度もあって、それ自体は慣れてた。
けれども、この日は台風報道が心配だった。
家は崖下にぽつん、と建っていたから。
物凄い雨だった……そして起こった運命の惨事。
地響きと共に崖が大きく崩壊し、この小さな民家を押し潰したのだった。
地震のような振動と共に、建物が変形する不気味な音。
やがて少女が見たのは、台所を蹴破るように飛び込んできた土砂だった。
今、少女は暗闇の中にいた。
天国にしては暗く、地獄にしては殺風景。
何よりも体の節々で上がる悲鳴のような痛みが、現実だと認識させてくれた。
少女は間もなく、自分が崖崩れで押し潰された家に閉じ込められたと察した。
両足が特にひどく痛み、満足に動かない……挟まれているようだ。
少女に医学的な知識は皆無だったが、これは骨折か、良くても捻挫しているだろう。
よく見れば視界の上方に、崩れた建物の隙間のようなものが見えるが、
彼女が自力でそこまで這い出すのは困難に思えた。
まぁ、生きているだけでも幸運なのかも……よく押し潰されなかったもの。
少女がため息をついた瞬間、妙な感覚を覚えた。
誰かに見られている気がした。
倒壊した家にいたのは、自分１人だったはず。
ネズミかリスでもいるのか。
少女は首をひねって周囲を見たが、それらしいものは見えない。
むしろ目の前の空間から、強い気配を感じ―――！？
少女はそこで、とんでもないものを見た。
視界が闇に順応してきた少女の目に留まったのは、ショートカットの少女の顔だった。
ただし奇妙なほど赤く、人肌とは思えないテカリを放ち、目には瞳がない。
人間と言うよりは――むしろ石像。
やがて少女は、この“石でできた少女”が、自分を守るような姿勢で、
低くしゃがみこんでいることに気付いた。
そう言えば、土砂と共に、何か赤い塊が家の中に飛び込んできた気がする。
でも、何かの石像だったとしても、運よく自分の上に被るなんて。
だが……少女の驚きは、それでは終わらなかった。
その赤い石の質感を持つ少女の顔が、にっこりと微笑みかけてきたからだ。
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「風もひどくなってきたな……」
パドルは居酒屋の入口に積まれた土嚢の裏側で、ずぶ濡れになりながら苦笑した。
土嚢の外側では、依然川からあふれ出した濁流が轟音を立てて荒れ狂っている。
１トンはあろうかという水圧が土嚢を容赦なく痛めつけ、パドルをこの位置から動けなくさせていた。
今パドルが退いたら、土嚢は間違いなく崩壊する。
礫石と流木を含む泥水が店内に流れ込み、この居酒屋を壊滅させるだろう。
――ライカの姿が見えないな……あぁ、裏の庭か。
パドルは感覚を研ぎ澄ませ、“相棒”の気配を裏の庭に確認した。
恐らく、裏の斜面が崩壊しないかどうか監視してるのだろう。
彼女の位置を察したパドルは、再び苦笑した。
――これじゃ２人とも動けんな。
その時……声が聞こえた。
肉声ではない……だが、悲鳴に近い“心の声”だ。
誰かが災害に巻き込まれたか……いや、これは！？
（ルイさん！……た、大変！！）
――この声は……エミか？
パドルの脳裏に、山奥の施設の風景が蘇る。
そしてその施設で出会った、石の少女たちを。
思えばあの施設がある盆地からちょっと離れたところに、急斜面があった。
その急斜面から更に少し下った先は文字通り“絶壁”で、
沢の底に当たる部分には小さな民家が１件。
（エミ……聞こえるか、エミ！ 俺だ……パドルだ！）
パドルは必死に念じた。
この金髪の大男にも、そういう能力があるのだ。
数分後、反応が帰ってきた。
（……？……パ……パドルさんっ！？……い、今……どこにいるんですか？）
（ふもとの居酒屋だ、その施設から２ｋｍほどの距離にある！ 何が起きたんだ？）
（や、山が……山が崩れて……る、ルイさんが……どうしよぅぅ……！）
（落ち着け、仮に生き埋めになっても君やルイは死にはしない！）
（で、でも……あいつらが……あの黒ずくめの……）
（連中が近くに来ていたのか！？）
――さては、“忘れ物”を探しに来ていたか。
パドルの記憶が、今度は数日前の廃校に飛ぶ。
先に廃校を訪れたルイが言うには、“連中”と遭遇した原因は、
何か落し物らしいものをしたためだったらしい。
結局、石化した被害者やその友人を救出し、記憶操作をするのに精一杯で、
その落し物が結局何だったのかは確認しなかったが……
思えばこの暴風雨で、ルイが施設の外に出るのもおかしい。
出てせいぜい施設の前、雨をシャワー代わりにするぐらいだろう。
あの男たちと遭遇し、追い払うために先走ったとしたら納得が行く。
――いずれにしろ、ここにいつまでもいるわけにはいかんか……
（取り合えず君はそこにいるんだ、捜索はやってみる、分かったな！？）
（は……はぃぃ）
その時、ライカが裏の庭から戻ってきた。
「ライカ、裏の斜面はどうだ？」
「当分は大丈夫だと思うわ、古い大木が何本かあって、しっかり根を張っているから」
「この辺は年代の古い雑木林が多いですからねぇ……けど、よくそれが分かりましたねこの雨で」
「え？あ……あはは、あたし、目、いいから（^^;）」
ライカが居酒屋の主人の質問を適当にごまかす。
実際のところ彼女にも特殊な透視能力があり、森の地下を透視できたのだが。
「そうか……じゃあ、しばらくここ、支えてくれるか？」
「え？……っちょ、何するつもりよ！？」
言うや否や、パドルは再び土嚢を飛び越え、濁流の中に身を投じた。
ライカは慌てて、パドルがいなくなった土嚢を押さえ込む。
予想もしていなかったパドルの“暴挙”に、居酒屋の夫婦も慌てた。
「ちょっと、何する気だあんた、流されるぞ！」
――数分後、濁流の中からぬぅっと、まるで海坊主のようにパドルが顔を出した。
泥水を被った所為で、いつもはツンツンと立っている金髪も、
まるでオールバックのように頭に張り付いている。
「ライカ、こいつを足元に！」
「こいつ？……ってぅわ、でっかいわね！」
パドルはおもむろに、流木の１本を担ぎ上げて、ほとんど転がすように土嚢の奥へ押し出した。
ライカは苦笑しながら、その流木を足元の土嚢の手前に置く。
更に数本、ちょうど土嚢を支えるバリケードのように。
「……どうだ？」
「うん、かなり頑丈になったみたいね」
「こいつはたまげたな……まさかこんな方法で……」
「じゃあ、俺ちょっと行ってくる」
「……はぁぁ？ 今度はどこに行く気よ！？」
「助けを待ってるやつがいるんでね」
そう言い残し、パドルは濁流の中を掻き分けるように下流へと進んでいった。
再び呆気に取られる居酒屋の夫婦。
「ちょ、無茶過ぎだあんた、本当に流されるぞ！？」
「ねぇあなた、彼放っておいていいのかい？」
「……彼に限ってもしもってことはないと思うけど……」
ライカは苦笑して、そしてつぶやいた。
「助けを待ってるやつ、ねぇ……」
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ルイは、どうしたものかと悩んでいた。
あの男に投げ落とされた直後に起きた土砂崩れ。
そのまま崖下の民家まで土砂もろとも落下して、そして生き埋めに。
息をしなくても問題ないし、ちょっとやそっとでは傷付かない石の体なので、
命がどうにかなる心配は取り合えずせずに済みそうなのだが……
この家には、小学生ぐらいの少女が１人いた。
多分、留守番をしていたのだろう。
とっさに彼女を庇い、倒れてきた屋根から守ったまではいいのだが。
その少女が今、おびえた表情で自分の顔を見つめている。
彼女が怖がるのは十分に分かっている……何しろ石像化した娘が上にいるのだから。
肉声を出すことができないルイはスマイルで意思を伝えようとしたが、
結果的には逆効果だった……何しろ石像が笑うのだから。
（参ったなぁ……どうしたらいいんだろう）
ルイは意識を集中し、周囲の状況を観察してみた。
全身が結晶状の石でできているために、ルイはわざわざ顔を動かさなくても、
自分の周囲の風景を“見る”ことができるのである。
何トンあるか分からない重い屋根が、自分の背中にのしかかっている。
自分がいなければ、少女は間違いなく押し潰されていただろう。
あの男と遭遇していなければ、土砂崩れにも巻き込まれなかったし、
この少女を助けることもできなかった……そう思うと皮肉で仕方なかったが。
横の方に、人１人通れそうな隙間がある。
あそこからなら、少女を脱出させられるかも知れない。
ルイは、身振り手振りで少女にそれを伝えようとした。
首を振り、片手で少女を庇いつつ、片手で隙間を示す。
唇を、ゆっくりと動かしてみる――ニ・ゲ・ナ・サ・イ、と。
（お願い逃げて……あたしのことはどう思ってくれてもいいから！）
けれど、少女はおびえたまま、首を横に振った。
かすれた声で、絞るように訴える。
「……あ……足が……」
その時、ルイは少女の足が、折れた柱に挟まれていることに気づいた。
少女の足が挟まれている所為で、横に小さな隙間がある。
（足が挟まれてるのね、ちょっと待ってて！）
ルイはバランスを崩さないように気を配りながら、その隙間に自分のつま先を押し込んだ。
人間なら、どこかの筋を痛めていただろう無理な姿勢だったが、幸い石の体に筋はない。
無理な体勢がたたって、ひびが入るかも知れないが、気にする余裕などなかった。
……数分ほど奮闘して、ようやく隙間が拡がった。
少女は顔をしかめながら、柱の下から足を引っ張り出す。
そして逃げ出す直前、少女はルイの方を振り返った。
感謝や申し訳なさが混じった、複雑な表情。
ルイは精一杯の笑顔で、彼女を見送った……イ・キ・ナ・サ・イ、と唇を動かして。
少女はまるで這うように、隙間に向かって進んでいく。
やがて少女の体は、隙間の向こうに消えた。
（良かった……）
少女の脱出を確認したルイは、のしかかる重さに耐え切れずに倒れた。
その振動で、倒壊した家が更に崩れ、隙間も完全に押し潰されてしまった。
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町の１角にある、中規模な公民館。
この地域の臨時避難所を兼ねており、向かいが病院という立地だ。
そして今その公民館のホールで、３０人ほどの市民が毛布を敷いて座っていた。
地滑りの恐れがあるということで、台地の住民数世帯に避難指示が出たのだ。
その公民館の入口で、１人の少女が外をぼんやりと眺めていた。
栗色のツインテール……翔子だ。
時間は既に夜半過ぎ……台風の目は既に町の沖合いを過ぎ去り、吹き返しの風雨が再び強まっている。
翔子は両親が寝ている講堂に戻ろうともせず、横殴りの風雨の中で警備を続ける、
警察らしき白黒の車両の上に灯る赤いランプを見つめていた。
彼女の脳裏にあったのは、１週間ほど前に廃校で出会った不思議な石の少女。
「ルイさん……大丈夫かな……」
情報は不確かだったが、自分の家に避難指示が出るぐらいだから、
今回の台風は其処此処で被害を出しているのだろう。
台風が来る前に降り出した豪雨も凄まじかったし、山麓では鉄砲水が出たと聞いた。
親友の眞希は「川が凄いことになってるよー♪」などとはしゃいでいたが。
その時、翔子はふと、病院の前に止まった救急車に目を留めた。
救急車に駆け寄る若い夫婦に、見覚えがあったからだ。
「あら？あの人って確か……」
「香澄、大丈夫か！？」
「あぁ無事でよかった……本当に！！」
「山崎先生！？」
「え？あ、あの、君は……えーと」
「朝陽学園の石塚です、やっぱり山崎先生だ……どうしたんですか？」
「あ、あぁ、あぁそうか、君はあの時の講義の……」
……数分後。
翔子は、応急治療を受ける少女の部屋の前で、若夫婦と喋っていた。
若夫婦の主人の方は、自然科学の非常勤講師・山崎真太郎。
山麓の沢沿いに立つ小さな家で、自前の農園も持つナチュラリストで知られていた。
妻・幸子の方も町の製薬会社に勤めるキャリアウーマンだった。
さっき運ばれてきた少女は、山崎夫婦の１人娘・香澄だったのだ。
土砂崩れに巻き込まれ、倒壊した家から自力で這い出してきたのだという。
幸い、足を捻挫してはいたが、香澄は奇跡的にも軽傷だった。
「……そうだったんですか……大変ですね」
「まぁね……崖の前だから、前から大雨が降ると危ないとは思っていたけど……」
「でも、娘が無事だったので、それでも十分だと思います」
「自然を恨んでも仕方ないからね……それに、こういう気候にした原因の一端は人間にもある」
「あ、それ、講義で聞きました……人間が自然に過剰な手を加えたおかげで、
大規模な災害がかえって起こりやすくなった可能性が高いって」
「今回の台風だって、異常気象のおかげで大型になったって言ってるしね――」
「あ、治療終わりましたよ」
その時、女性看護師が、車椅子に乗った少女＝香澄を連れて来た。
「あぁ、これはどうもありがとう御座います」
「軽い捻挫で済んで本当に良かったですね山崎さん」
「香澄、どうしたの？もう大丈夫なのよ」
だが、香澄は何故か嬉しそうな表情をしない。
悲しそうというわけでもなかったが、何かを心配しているような表情だ。
翔子が怪訝な表情で見つめ返すと、横から真太郎が口を挟んだ。
「香澄、本当に人を見たのか？ あの後現場についた消防隊の話だと、
もう別の人がいる可能性は低いと言ってるんだよ？」
「別の人？」
「おかしいだろう？この雨の中、別の人がいたと言うんだよこの子……
消防隊は念のために、沢の下流も探してみると言ってくれたんだけどね」
「呼びかけても返事がなかったそうなんですよ、消防隊の方が言うには……」
「違うの……違うの……あの人、喋れないの」
「でもなぁ……特殊なスコープを入れても反応がなかったらしいんだけど」
「特殊なスコープ、ですか？」
「うん、最近導入したらしいんだけどね、人の呼吸とか心拍とかを感知するんだって」
「そのスコープでもダメだったってことは、本当に人がいるのなら、最悪の場合……」
幸子はそこから先を言うのを止めた……子供の手前、気を遣ったようだ。
しかし、翔子は何かが引っかかる気がして仕方がなかった。
その懸念は直感に基づくもので、加えて言えばとても非現実的な懸念だ。
少なくとも、常識を知る一般人にとっては。
「まぁ、更に下流に押し流されたかも知れないし、香澄が恐怖で見た幻覚かも」
「…………ねぇ、香澄ちゃん……変なこと、聞くようだけど」
「……石塚君？何か、知っているのかい？」
翔子は数分考え込んだが、結局問いかける方を選んだ。
疑念を抱いたまま悶々と過ごすのは、性に合わないからだ。
「香澄ちゃんが会ったって人……真っ赤な顔じゃなかった？」
「……！！……い、石塚君！？こ、子供の前だぞ！？」
「違います、血とかじゃなくて！」
「……おねぇちゃん……知ってるの？」
「顔だけじゃなくて体も手足も赤くて、髪が短くて、可愛い女の子」
「顔や体や手足が赤い女の子？？……に、日本人じゃないのかな？？？」
香澄は、翔子の問いに、戸惑いながらもしっかりと頷いた。
「――ありがとう、香澄ちゃん！」
「お、おぃ石塚君、どこに行くんだ！？」
香澄の答えを確認した翔子は、そのまま病院を飛び出していった。
疑念が確信へと変わったからだ。
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その頃、パドルは山間の細い沢にやって来ていた。
目の前には、大量の土砂……沢を横断する道路を完全に埋めている。
土砂には、何本もの折れた木の幹や、砕けた瓦が混じっている。
風はなお強いが、雨は峠を越えていた。
道路を埋めた土砂の端に、看板が半ば埋まって立っている。
それは、沢の上方に向かっても、林道が続いていることを示すものだ。
今、その林道は厚さ２ｍはあろうかという土砂に埋もれていたが。
土砂の端が抉られるように取り除かれ、幾つかの足跡が前後バラバラについている。
恐らく、この沢を上った消防隊がつけたものだろう。
そして、要救助者を確保して去った……来る途中で救急車のサイレンを聞いたからだ。
だが、その要救助者がルイであることはまず考えられない。
声を出せず、呼吸も鼓動もない彼女の場合、自力で這い出すか土砂の上に倒れていない限り、
誰かの目に留まったり、救出されることはあり得ないからだ。
何より、倒れたルイを発見しても、動かない限り人だとは思わないだろう。
パドルは彼女にテレパシー波で呼びかけたが、まだ応答がない。
多分……失神しているのだろうとは思うが。
「さて、行くか……」
パドルが土砂の上に踏み出そうとした、その時だった。
道路の彼方で、物音が聞こえた。
この音は自転車だろうか……誰かが近づく気配がする。
この風雨の中だ、警察なら車を使うと思うが……
――どこの民間人だ？まだ風も強いというのに。
パドルは耳を澄ます。
はっ、はっ、と、ペダルをこぐ息遣いが聞こえる。
まだ若い、しかも女性の声だ。
風の音も強く響くが、パドルはそこから呼吸の声を抽出することができた。
間もなくパドルの視界が、音の主を確認した。
それは……ツインテールの髪の少女だった。
……そして、パドルが知っている少女だった。
１週間前、廃校で出会い、記憶を操作して帰した娘。
パドルは彼女の顔を覚えていたが、向こうは覚えていない……ハズだった。
だが――少女はパドルの姿を確認するや否や、表情を変えた。
誰かがいるという驚きではない……見覚えがあるという驚きの表情だった。
パドルは懸念を抱きながらも、何食わぬ表情で少女に問いかけた。
「誰だ？……この道路なら今、土砂崩れで塞がってるぞ？」
「……やっぱり、夢じゃ、なかったんですね……」
「――何だって？」
「……ルイさんは、この上にいるんですか？」
その言葉で、パドルは懸念を確信に変えた。
少女は、夢として操作された記憶を、現実として思い出したのだと。
――やはり、完全に消去しておくべきだったか……
「――翔子、だったかな？ ずいぶんと早く、思い出したんだな」
「思い出せて良かった……ずっと、会いたかったんです」
「……こんなに非現実的な出来事なのに、君は受け入れるんだな？」
「確かに、信じられない出来事……でも、拒んだって仕方ないですから」
翔子はそこで、土砂に埋まった沢の方を見上げた。
「拒むよりもずっと……ルイさんに会いたい、と思う気持ちが強かったんです」
「……ここから先に、道はないぞ？」
「じゃあ、作って行きます……あなたが案内してくれるのなら」
「俺のことも、思い出したのか」
「もちろんです……ルイさんを助けた人……名前は、知りませんけど」
――意志の強い娘だな。
パドルは、そう思って苦笑した。
「パドルだ……俺が先に行くから、君は後ろから用心して来てくれ」
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あれから、どのぐらい経ったのだろうか。
ふと、ルイは意識を取り戻した。
体が動かない。
硬化が戻ったわけではないらしい……指などは普通に動く。
（そっか……あたし、生き埋めになったんだっけ……）
重い屋根の角材が、背中と足の上に乗っている。
体質が体質だから押し潰されることはないが、身動き取れないのはその所為らしい。
光がほとんど差さない所為か、ルイの“視力”でも余り良く見えない。
生き物の気配は感じない。
どうやら、さっきの少女は上手く逃げ出せたようだ。
ルイは、少しだけほっとした。
（今頃……みんなどうしてるかな……）
ルイの頭によぎったのは、エミやサラの姿。
エミは多分、自分を探しているのだろう。
動けるようになったばかりなのに、サラには心配をかけた。
後先考えない自分の勇み足の所為で。
まったく……フライングする鉱物娘なんてどうなんだろう。
折り重なる家屋の残骸と土砂の隙間から、風の音が聞こえる。
まだ……台風は過ぎ去っていないらしい。
その時だった。
声が聞こえた――心の声が。
（ルイ、聞こえるか？聞こえたら返事を！）
（ぱ……パドル、さん！？）
（ルイか！しばらく反応がないから心配したぞ！）
（パドルさん……ご、ごめんなさい……あたし、無茶して……）
（反省会は後だ、今出してやるからな！）
間もなく、外に風と雨以外の物音が響いた。
靴の音だ……しかも、２人分聞こえる。
――エミちゃんも一緒なのか、謝らないとね。
メキメキ、と屋根の上部が引き剥がされる音がする。
破片や小石がパラパラ、とルイの顔や背中、足に当たった。
「あ、あの……ちょっと乱暴過ぎません？」
「え？あぁ、そうかな？」
――え？エミちゃんじゃないの？誰だろう。
パドルに話しかける声が聞こえて、ルイは奇妙に感じた。
パドルについてきた足音の主がエミなら、普通に喋ることはできないはずだからだ。
恐らくはパドルだろう、屋根をはがす音はなおも聞こえる。
メキメキ、バキバキ、とまるで重機のような豪快な破壊音が続く。
ふと、ルイの顔に、水滴がポタポタッ、と当たった。
ルイが顔を上げると、引き剥がされた屋根の上に、パドルの顔が見えた。
「――ルイ、大丈夫か！？」
（ぱ、パドルさん……う、うん、何とか）
パドルの横にいるだろう、女性らしき相方の姿までは見えない。
「待ってろ、今その木組みを持ち上げる！」
「えぇっ！？どうするんですか？そんなのクレーンでも使わないと――」
「心配は要らないよ……どっこい――しょっ！！」
ひときわ大きな音が響き、ルイを押さえつけていた角材が離れた。
どうやら、パドルが屋根の構造を支える木組みを持ち上げたらしい。
ただの人間じゃないとはルイも気付いていたが、恐るべき怪力だ。
その隙に、ルイは素早く木組みから体を引き抜き、パドルがこじ開けた隙間の真下に立った。
次の瞬間、木組みは再び、泥を撒き散らしてもとの位置に落下した。
「――ふぅっっ……どうだ、出られるか？」
（は、はい、あ、ありがとう御座います！）
ルイは崩れた家屋の残骸の強度を確かめながら、
１歩、また１歩と屋根の上に開けられた穴に向かって行った。
あとちょっとで外に出られる、という時だった。
上方から、すっと手が差し伸べられた。
ルイは無意識のうちに、その手を掴んだ。
ルイが顔を上げた瞬間――その動きが止まった。
彼女の目の前に、栗色髪のツインテールが特徴の少女が立っていた。
まるで天使のような笑みを浮かべて。
ルイは……この少女を知っていた。
もう２度と、会うことはないだろうと思っていたのだが。
（…………しょ、翔子……さん……？）
「――やっと、会えた……ルイさん」
（え、あ、その、あ、あたし……）
「大丈夫だよ……もう、大丈夫だから……」
翔子の手を借りて、屋根の上に這い上がったルイの手に、更に翔子の手が重ねられる。
柔らかくて、暖かな人肌の感触。
もう２度と、味わうこともないと諦めていた感触。
（……翔子さん……ご、ごめんね）
「誤ることなんかないよ……あたしだって、わがままで来たんだし」
（……え？……翔子さん？……あ、あたしの、声が……）
「聞こえるよ……しっかり聞こえる……不思議だけど、ね」
翔子は更に、ルイを抱き寄せた。
（ひゃっ！？ しょ、翔子さんん！？）
「パドルさんから聞いたよ……ルイさんも、昔は人間だったんだってね……」
（……………………）
「こんな体になっても頑張ってるルイさんって、ほんとに凄いよ」
（……そ、そんなこと、ないよ……）
「ねぇ、ルイさん……あたしのお願い、聞いてくれる？」
（…………お願い？ う、うん）
翔子はそこで、ルイから離れ、しかし手は握ったままで言った。
「ルイさんの……お友達になりたいの」
（…………友達……）
ルイにとっては、衝撃的な言葉だった。
廃校で初めて翔子と会った時も、同じことを言われた。
けれどもあの時は、翔子も“あの組織”によって石化されていた。
同じ境遇を持っているから、友達になれるかも知れない。
少なくともルイは、そう解釈していた。
けれども今、翔子は“人間として”同じことを言ってきているのだ。
人間の友達ができるなんて、ルイには全く予期していなかったことだ。
脈のない体なのに、雨に打たれて冷え切っているのに……なのにとても熱い。
翔子の手から感じるぬくもり以上の“何か”が、ルイの中で湧き上がっていた。
「……ダメかな？」
（……そ、そんなことない…………でも、あたしなんかでいいんですか？）
「ルイさんだから友達になりたいの……いっぱい色々な話をしたいの」
その時、ルイの肩にぱさっ、と何かが掛けられた。
肩幅の大きな上着……パドルが着ていた特注のジャケットだ。
（……あ……パドルさん……）
「取り合えず…………服は着ておいた方がいいぞ？」
（…………え…………）
「…………あ」
数秒の沈黙。
翔子の視線が、ルイの上半身を捉える。
再び数秒の沈黙。
（――――っっっっ！！！！////）
その時ルイは初めて、自分がほとんど“素体”の状態だったことに気付いた。
無理もない……“あの男”と対峙した時から、ルイは１度もあの施設に戻っていなかったのだから。
人間ならその瞬間、顔が沸騰寸前まで真っ赤になったのだろうが。
ルイはただ無言で、パドルが掛けたジャケットを雨合羽のようにして、
身を縮ませるように屈み込むことしかできなかった。
そんなルイのリアクションを見て、翔子はくすくすと笑った。
その余りにも自然な、人間的なリアクションを見て。
（……わ……笑わないでくださいよ……だ、だって……その……///）
「あ……ご、ごめん、恥ずかしかったんだよね」
慌てて謝る翔子。
翔子は改めて、ルイが普通の少女なのだと思った。
こんな体になっても、素の自分であり続けようとしている。
真似できなさそうな芯の強さと、演じることを考えない純粋さ。
体が何でできていようと、ルイはルイなのだと。
そんなルイの素振りが、翔子にはけなげで、かつ可愛く思えた。
いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。
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「取り合えず、今日はここでお別れだ」
町外れの廃校。
ルイ＆パドル＆翔子が、校庭の端に立っている。
校庭の中心付近は、さっきの暴風雨の所為でほとんど泥の海と化していた。
「また……会えますよね？」
「――それが君らの運命ならな」
（あ、あたしもまた会いたいです……だ、だって――）
「友達だもの、ね♪」
ルイの“言葉”を、翔子がつなぐように言った。
やや照れつつもにっこりと笑うルイ、翔子も満面の笑みで返す。
そんな２人の仕草を見ながら、パドルはふと思った。
――運命、か……
何気なく口にしたが、本当に運命だったのかも知れない。
……いや、それはむしろ軽率だろうか。
ルイが“鉱物娘”として生きる道を選んだように、翔子もまたこの非日常を受け入れる道を選んだのだから。
そう、誰にも強制などできはしない……道は自分で選ぶものだ。
翔子はパドルと会った時に言った。
――じゃあ、作って行きます――
２人の少女が手をつないで切り開いた、この道の先には何があるのだろうか。
やがて、別々の道へと歩み出す、翔子とルイ……手をいっぱいに振りながら。
お互いの日常に戻るために……しかしそれは、恐らく束の間の休息になるのだろう。
夜が明ければまた、新たな運命が待っているのだろうから。
――俺も、覚悟して見届けねばならんな。
少女たちに教えられた気がした……パドルはルイの背中を眺めながら、１人感慨に浸っていた。
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| （第３章第１話へ続く） |
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【Meking Memo／設定補記】
2008年頃に草稿を作成したエピソード。
ルイと翔子が再会するエピソードの後編に当たる。
前編もそうだが、パドルの協力者としてライカが初めて登場するエピソードであり、
後の“宇宙人コンビ体制”のフラグにもなっている。
ルイが香澄を救うシーンも、鉱物娘ならではの特性を活かしたものだ。 |
