 |
★ＣＲＩＳＩＳ２００１ 統合ナンバー：EA-ATT18501N（N-E2001A02） |
|
紀伊山地の獣害事件で初の犠牲者が報じられた日の夜。
村はずれの林道で、ハーフっぽい顔立ちの男が携帯電話を耳に当てていた。
入山する前に慎一が遭遇したあの記者である。
「――えぇそうです、奇形化したサルではないかということだそうです」
記者は小さな声で囁くように、そして英語で会話している……電話の相手は日本人ではないようだ。
「――いいえ、まだ“奴ら”の足取りは掴めておりません、申し訳ありません。
しかし調査では、この山岳地帯のどこかに棲んでいることは、間違いないと思われます」
取材情報をデスクに報告しているのか――その割には、人目を気にするような素振りをしばしば見せる。
ライバルメディアに特ダネをスッパ抜かれることを恐れているのだろうか。
「それから、近くの住民が１人山に入って、今も行方不明のようです……自分も昼にその住民に遭いました。
――えっ、“火”ですか？ ……さすがに疑われませんかね？ ――分かりました、では検討します」
キョロキョロと周囲を見ながら、記者は携帯電話を胸ポケットにしまった。
視線の先――村役場がある方向には、パトカーの赤ランプが数個、闇の中で鬼火のように点滅していた。
|
ＣＲＩＳＩＳ ２００１
クライシス――地球大変動２００１
★ 王仁 人外の矜恃 ★
|
どれだけ時間が経ったのか――ふと慎一が目を覚ました。
オレンジ色のぼんやりした光が揺れる、岩場の１角に寝ているらしい。
光はちょうど、焚き火のような色合いと動きを見せる……救助隊が現場に駆けつけてくれたのか。
そう思って光源のように目を向けた慎一は――再び目を疑った。
焚き火の炎を示唆する光の中に――青黒いウロコに覆われた大きな“背中”が見えたからだ。
気を失う前に慎一が見た“謎生物”と特徴が一致する……あの時は足先しか視界に入らなかったが、
同じ色のウロコに覆われたその影は、人間とよく似た骨格を持っているように見えた。
下半身には布切れのようなものを巻いており、頭頂部には茶色の髪の毛のようなものまで見える。
そして更に――慎一を驚かせる出来事が起きた。
「――目が覚めたか、人間？」
その青黒いウロコに覆われた人型の謎生物は、“人語”を口にしたのである。
そう喋りながら振り向いた謎生物は、古生物図鑑で見る恐竜に似た顔つきをしていた。
恐竜と違うのは、やや前後に潰れたマズルを持つことと、鼻先からサイのような角を生やしていることだろうか。
異界の妖魔と遭遇した経験もある慎一だが、ここまで人間離れした顔を見たのは初めてだ。
慎一が呆然としていると、謎生物は更に言葉を続けた。
「お前は運が良い……我があの時いなければ、今頃あのクマの胃袋の中だったぞ」
「……あ、あれは……やっぱり、クマやったんか……？」
慎一が目を白黒させながら何とか言葉を返すと、謎生物はふ、と軽く笑うような仕草を見せた。
「ほぅ――人間にしては肝が据わっているな、この顔に恐怖しないのか。
そうだ、あれは奇形化したクマだ、他に奇形化したサルもいるぞ、お前は出遭っていないかも知れんがな」
「……登山道の先で遭った、半分腐ったようなサルのことか？」
「なんだ、既に遭っているのか……よく生き延びられたものだ」
「……あ、あれぐらいなら……何とかなる…… ――痛たっ」
言葉を返しながら慎一は上半身を起こした――その際に左足のスネと右の肩の付け根に鋭い痛みが走る。
どうやら、左スネと右の鎖骨が折れているらしい……崖から落ちた時に折ったのだろう。
よく見ると左足のスネには小枝が巻き付けられている……この謎生物が応急処置したのだろうか。
「無理をするな、２ヶ所も骨が折れている……まぁ、あの崖から落ちて、その程度なのはまだ運が良い方だがな」
「助けてくれたことに礼を言いたい、自分は阿倍慎一や、あんたの名は？」
左足と右の鎖骨をかばいながら、起き上がってそう言った慎一に、謎生物は目を細めた。
「ふん――人間にしてはよく出来てるな、先に礼を言って名乗る人間など、数十年振りに遭った」
「瀑羅（バクラ）――感情が出過ぎているぞ、そのくらいにしておけ」
ふと――謎生物の背後から、もう１つのしわがれた声が響いた。
上半身を起こしてから初めて気付いたが――焚き火の向こう側に、もう１体の謎生物がいたのだ。
こちらは赤茶色のウロコに覆われ、２本の角が生えている……正面から見ると、まさに「赤鬼」そのものだ。
「済まぬな人間、こやつは人間を余り良く思っておらぬのだ。 我は轟羅（ゴウラ）、こやつは瀑羅だ」
「仕方ないだろう轟羅、人間は我の父を殺したのだから」
瀑羅と呼ばれた、青黒いウロコの“異人”は、苦い表情で溜息を吐くようにそう言った。
「人間は父の敵なんか……じゃあ、どうして自分を助けたんや？」
「お前が我の父を殺したわけではない、人間にも色々いることくらいは知っている」
そう言う瀑羅を見て、慎一は改めて驚いた……このトカゲ男のような異人が持つ、高潔な知性にである。
人間と因縁を持っているはずなのに、全ての人間を憎んでいるわけではないと言うのだから。
人間の中にさえ、そうやってきちんと線を引けない者など、幾らでもいるのに。
そして轟羅と名乗る、焚き火の向こう側にいる異人も、瀑羅に匹敵する高潔な知性を持つことが窺えた。
異種族の年齢は良く分からないが、轟羅の方が年上なのだろう……シワが多く見えるからだ。
「ここに来た人間は自分だけなんか？ 麓の村では今、鬼騒動が起きているんやけど」
「ここは人間に簡単に来れるような場所ではない……お前はたまたまケガをしていたから運んでやったが、
そうじゃなければ人間に遭うこともない」
「慎一と言ったな……我々は人間と余り関わり合いを持たぬのだ、人間は異種族に余り寛容ではないからだ。
我々は何千年も前からこの地に住んでいたが、人間の多くは我々の権利を認めなかった」
轟羅はそう言って、こちらも哀しげな表情を浮かべた。
「なるほどね……分かるよ、人間って生き物は、同族の間でさえ、民族や宗教が違うだけで排除し合うしな。
――ん、待てよ？ ということは……麓の村の倉庫を襲撃したんは、あんたたちやないのか？」
「我々はそんなことはしない……恐らくあの奇形化したクマやサルの仕業であろう」
「そう言えば、あの奇形化したクマやサルは一体何なんや？ どうしてあんな動物がこの山に棲んでいるんや？」
慎一がそう言うと、瀑羅と轟羅は顔を見合わせ、小さく頷き合った。
「知りたいか？ ――ならば夜が明けてから、教えてやろう」
|
|
翌朝――慎一は瀑羅の案内で、ある場所へと向かった。
夜が明けてから分かったが、瀑羅たちが暮らすのは、急峻な崖に囲まれた小さな洞窟であった。
確かにこんな場所に、１人でのこのこやってくる人間は、物好きな探検家であっても滅多にいないだろう。
この辺りの登山道には慎一も詳しいという自負があったが、この場所はまだ知らなかった。
洞窟から１〜２分歩いて崖の縁に出ると、昨日の夕方に慎一が転落した場所が眼下に見える。
恐らくあの時瀑羅に投げ飛ばされたゾンビグマだろう、黒い影が今も崖下の岩場に横たわっているのが見える。
そしてその急峻な沢から、細い階段のような道が崖の上まで続いているのも見えた。
「こんなところを、あんたは自分を抱えて登ったんか……」
「人間は軽いからな――さぁ来い、こっちだ」
折れた左スネには添木が充てられている……瀑羅の応急処置であり、更に上から慎一がテーピングで強化した。
鎖骨が折れた右肩も同様にテーピングで固めたが、それでも痛みはある。
そのため起伏に富んだ山道を、ゆっくりと歩くことしか出来ないのがもどかしい……歩けるだけでも大したものだが。
瀑羅は時折立ち止まりながら、追いかけてくる慎一をエスコートする……特に何かを言うわけではないが、
民族どころか種族さえ違う慎一に、気を遣っていることは彼にも理解出来た。
下山したら本格的に病院に行かないと――そう考えながら、瀑羅の後に付いていくこと１時間余り。
「ここだ、見ろ」
短くそう言って瀑羅が無骨な３本指で示した場所は、やはり雑木に覆われた狭い盆地であった。
そしてその盆地の中ほどに、朽ちたドラム缶が10数個ほど並んでいるのが見える。
慎一はその“正体”がすぐに分かった。
「こいつは……産業廃棄物か！」
周囲の土壌は変色し、並んでいるドラム缶から周囲２ｍ程の範囲は雑草も生えていない。
かなり毒性の高い工業廃液を、誰かがこの盆地に不法投棄したのだろう……実にけしからんことである。
そして更に近づいた慎一は、更に確信的なものを見て、眉を潜めた。
赤さびが浮いているドラム缶の幾つかに、見覚えのある円と三角形の記号が描かれている。
それは――放射性廃棄物であった。
「川の放射線が基準値を超えたのは、ラドン温泉やなくて、こいつの所為か……！」
「余り近づくな人間、毒にやられるぞ」
「……そうやろな、毒というか、被曝しそうや」
「あのクマやサルは、ここの毒液を浴びたり、毒液で枯れた木々の実を食べて奇形化したのだ。
数年くらい前に、この中の２つほどから毒液が外に漏れ出して、周りの木々が急速に枯れ始めた」
ウロコが盛り上がった眉を潜めてそう言う瀑羅に、慎一も複雑な表情を浮かべる。
動物を奇形化させてしまうほどの、大量の放射性廃棄物が入ったドラム缶の不法投棄など、
発見されれば全国紙のトップニュースになるくらいの重大問題である。
そんなことをやってしまう人間がこの日本にもいることに、慎一は言いようのない悲しさと空しさを感じていた。
そして更に、瀑羅は渋面のまま言葉を続ける。
「クマやサルだけではない……轟羅もここに生えている木の実や薬草を食べて、体を壊したのだ」
確かに轟羅は、年老いているのもあったのだろうが、足腰が悪そうだった。
今朝も慎一と瀑羅を見送る時、焚き火の燃え跡の向こうから立ち上がらなかった……慎一は思わず目を閉じる。
「なんてこった、最悪の環境破壊やないか……詫びの言葉も見つからへん」
「お前の所為ではない……人間は余り好きじゃないが、こういう行為を批判する人間もいるだろう」
「もちろんや、こんなの言語道断やで――そういや、あんたの体は大丈夫なんか？」
「我か？ 我は轟羅に止められたのでな……ここいらの草や木の実は食うなと」
そう言う瀑羅は、空しさを噛み殺すような、ひときわ哀しげな目をしている。
自分が廃棄物の毒性にやられなかった幸運よりも、同志の轟羅だけが大量被曝したことを悲しんでいるのだ。
そしてそれだけの苦悩を覚えつつも、全ての人間を憎んでいるわけではないのである。
慎一をここに案内したのもそうだろう……この山で起きている、深刻な環境汚染を訴えるためなのは明白だ。
自分が直接訴えたとしても、相手にされないどころか逆に大騒ぎになる可能性を、瀑羅は十分に分かっていた。
だから自分を恐れない慎一にそれを伝えることに、瀑羅は意義を感じたのだろう。
もちろん――慎一も瀑羅のそうした訴えを理解した。
「約束するよ……下山したら、この現場は必ず警察に通報する」
|
|
その頃――ゾンビグマが倒れている崖下の沢には、警察や猟友会の人々が駆けつけていた。
この沢は麓の村に注いでいる谷川の支流に当たる小さな小川の上流に当たり、
昨晩近所を捜索していたレスキュー隊員や猟友会員が、「猛獣の咆哮を聞いた」という証言を聞いていたため、
小川を上がって沢の捜索を開始しており、そこでゾンビグマの死骸を見つけたのである。
非対称に崩れた赤い体と、周囲の岩場に飛び散る赤黒い血痕が、ここで起きた異常事態を物語っている。
「何だコイツは……奇形サルの次は奇形クマか？」
「目撃報告にあった“赤鬼”はこいつかも知れへんな……こんなのが山奥に棲んでたとは信じられん」
「崖の上から転落して死んだんですかね？」
「それにしちゃ血痕の飛び散り方がおかしくないか？ 沢の方からぶつかったみたいやぞ」
崖の上には確かに、小さな沢のような窪みが見えているが、今のゾンビグマが倒れている場所の上ではないし、
死骸の周囲に飛び散っている血痕は、ゾンビグマが沢の中軸方向から岩場にぶつかったことを示唆する。
しかしそこに理由なく突っ込むのもおかしいし、自分から突っ込んだ体勢でもないのだ。
「これじゃあ――何かに投げつけられたみたいだ」
「何かって、何がそんなことするねん、奇形クマがもう１頭いたっちゅうんか？」
「あり得ないことでもないですよね？」
部下らしき青年にそう言われて、猟友会員の１人は引きつった表情を浮かべる。
つまり――このゾンビグマの死骸で万事解決というわけではない、ということを意味するからだ。
しかも昨日行方不明になった青年は、まだ発見されていないのである。
巡査長らしき男が溜息を吐いた、その時であった。
「巡査長――これ、見てください！」
部下の声で駆けつけた巡査長やレスキュー隊員の視界に映ったのは――携帯電話であった。
ヒビだらけで既に壊れているが、そんなに古いものでもない。
既に事切れているゾンビグマから下流に数ｍほどの岩場――ちょうど崖上の小さな沢の真下に落ちていた。
その事実が意味することというのは――
「これまさか――行方不明者の持ち物か！？」
「行方不明者が、あの沢から転落したってことでしょうか？」
「しかしそれならなんで、他の持ち物や不明者本人が見つからへんのや？」
「携帯電話を落としたことに気付いていないとか……」
「その可能性もあるけど、それでもこんな所に壊れた状態で落ちてるのは不自然とちゃうか？
まさかこの携帯電話だけが不明者本人から、あの沢の端っこまで歩いてきたわけでもあらへんやろう」
「落ちてきたんじゃなくて、この沢を登ってる最中に落としたとか」
「それならなんでこんなに壊れてるんや？」
「まさか……あのクマを殺したヤツに、連れ去られたんじゃ……」
部下の言葉に、今度は居合わせた全員の表情が引きつった。
ゾンビグマの死骸は、自分で転落して死亡したにしては不自然な痕跡があり、何かと格闘した形跡がある。
そして壊れた携帯電話だけが、崖下に落ちているという事実。
もしゾンビグマを「殺した」別の生き物がいるなら、これらの不可解な状況を説明することが可能なのだ。
そしてそれは同時に、行方不明者がその「別の生き物」に襲われている可能性も示唆するのである。
「……もっと沢の周りを調べるんや、少しでも不自然なことがあったらすぐ報告しろ！」
「りょ、了解！」
崖下の沢が、再び慌ただしい空気に包まれていく中――それを遠目に見ていた人影があった。
木陰で顔は良く分からないが、その人影は携帯電話で誰かに連絡する。
「もしもし――あぁどうも、“奴ら”の足取りの形跡が見つかりましたよ」
その声が、昨晩“ひそひそ話”をしていた、ハーフ記者のものだと気付いた人間はいただろうか。
記者はやはり英語で幾つかの会話をすると、携帯電話をしまって麓に降りていった。
|
|
その日の午後――慎一は下山する準備を整えた。
もちろん折れた左スネと右の鎖骨はまだ治っていないが、ここでは十分な治療が行えない。
応急処置をしただけであり、添木とテーピングで固めているとは言え、放置していれば骨が変形するし、
骨が元通りになるまで瀑羅や轟羅の世話になるわけには行かない……家族や救助隊にも迷惑をかける。
「気丈な男だな……まだ骨がつながってもおらぬのに」
「ずっと世話になるわけには行かない……大丈夫や、山を下りたら病院に直行するから」
「麓の人間には、我々のことは黙っていて欲しい……慎一のような人間もいるだろうが、多くはなかろう」
「もちろん、分かってる……静かに暮らして行けることを、自分も願うよ」
慎一がそう言うと、轟羅は笑みを見せた……瀑羅もハッキリとした笑顔ではないが、口角を上げる。
足腰が弱っている轟羅に洞窟の入口で別れを告げた慎一は、瀑羅の案内で最寄りの登山道まで向かった。
左足に余計な負担をかけないよう、ゆっくり斜面を下っていく……リュックに折り畳み式のピッケルがあったため、
それをサポート代わりにして、１時間余り歩いたところに、細い登山道が現れた。
最初に入山した時の道ではないが、慎一が知っている道であった。
「我が案内出来るのはここまでだ……良いな？」
「問題ない、ここは歩いたことがある道や、どう行ったら麓に着くのかは分かってる」
「そうか、ではさらばだ――慎一」
初めて名前で呼んだ瀑羅に、慎一は振り返りながら満面の笑顔を返した。
「さよなら――瀑羅、あんたと出逢えて良かった、一生忘れない」
瀑羅は言葉を返さなかったが、今度はハッキリと分かる笑みを浮かべたのが慎一にも見えた。
そして麓の村の方向に向かって、20分ほど歩いた時――木立の向こうにオレンジの人影が複数見えた。
慎一がそれを認識するのと同時に、人影がざわつくのが分かった――恐らく、向こうもこちらの影を見たのだろう。
そして間もなく――大きな声が聞こえた。
「おーい！、あなたは阿倍さんですか？ あなたは阿倍慎一さんですか！？」
「はい、そうです！！」
慎一は負けじと声を張り上げて返す――オレンジの集団から歓声が上がるのがすぐ分かった。
「要救助者発見、不明者の阿倍慎一と確認、繰り返す、要救助者発見！」
３分も待たずに――レスキュー隊と慎一は登山道でエンカウントした。
「良かった――あなたを探していました、ケガをしていますか？」
「はい、実は左スネと右の鎖骨が折れてて……滑落した時に折ったみたいです」
慎一が正直に言うと、レスキュー隊の隊長らしき人物は目を丸くした。
「そんな状態で、山道を降りてきたんですか……！」
「応急処置をすれば、身動きできないほどではありませんでしたから」
「では、すぐに担架を持ってくるように……」
「いえ、この道は険しいので、下に降りてからで良いです……自分は大丈夫です、時間をかければ降りていけます」
「凄い精神力ですね……分かりました、おい誰か、彼に肩を貸してやってくれ！」
それから１時間後――日が西に傾く頃に、慎一はレスキュー隊と麓の村に到着した。
村役場の前には救急車が停まっており、待機していた医師が慎一のケガを治療した。
２ヶ所の骨折を除けば、額の傷を含めて打ち身や擦り傷であり、大病院に搬送するほどではないと判断されたが、
ゾンビサルやゾンビグマとの遭遇をしていたことが分かったため、放射性物質への接触が疑われ、
慎一は村にある中央病院の、隔離された病室で療養することを告げられた。
それほど大きな病院ではないが、観光地になっているラドン温泉が近くにあるため、しっかりした設備があったのだ。
同時に慎一は警察に対し、山間の小さな盆地に、放射性廃棄物の不法投棄があったことも告発した。
登山道から道なき道を１時間ほど上がっていかねばたどり着けない場所であるため、
すぐには確認が難しい話であったが、谷川で最近急に放射線量が増えたことと辻褄が合うため、
警察は真剣に慎一の証言を聞いていた……数日中に現場近くに捜索隊を派遣するという。
車椅子に乗せられた慎一が病室に搬送される時――マスコミらしき数人が慎一に近づいてきた。
「すいません阿倍さん、奇形のサルやクマに襲われた時の話を１言お願いします！」
「鬼伝説の正体と言われる怪物に遭遇した時の気分はどうでしたか？」
「ちょっとあんたたち、怪我人ですよ、邪魔しないでくださいよ、さぁ出てった出てった！」
「いや１言だけでもコメントを……！」
看護師たちはメディア集団を押し出すように廊下から排除し、同時に慎一の車椅子を病室に押し込んだ。
それはまるで、ラグビーのスクラムのように見事なチームワークであった。
|
|
病室で夕食を終えた慎一に、面会の依頼があった。
ベッドに横たわる――上半身は起きているが――慎一の前に現れたのは、父の清太であった。
「全く……ホンマにお前は命知らずやな、今度はちょっとは懲りたやろう」
「親父……ごめん、無理しちまった」
清明神社は急遽、清明村に住んでいるパートの従業員に依頼する形で、清太はここに来たようである。
信頼のあるパートは清太の依頼にイヤな顔１つせず、留守番を引き受けた。
何度か父に謝った後――慎一は“事の真相”について、清太に告げた。
「――そいつはホンマの話か？ 奇形のクマの死骸は、崖下の沢で見つかったっちゅうことやけど」
「そのクマを投げ飛ばしたんがその“竜人の鬼”やねん、前から見ると伝説の鬼そっくりやけど、ウロコに覆われてて、
横から見たらトカゲみたいな顔で、ロバみたいな耳が生えてる異種族やった……アレはクマやない」
「まぁ、異界の魔物にも遭うたことあるから、あり得ないとは言わへんけどなぁ……」
「瀑羅と轟羅は見た目はいかついけど、理知的な種族やった……人間にずっと差別されてきたのに、
全ての人間を憎んでるわけやないって……そんなに物分かりが良いの、人間かてそんなに多くないんちゃうか？」
「正論やけど、綺麗事って言われ兼ねへん話ではあるな……」
ベッドの横の椅子で、清太は複雑な表情で腕を組んだ。
「瀑羅にあの廃棄物の現場を見せられた時は、ホンマにショックやった……世の中良い奴も悪い奴も確かにおるけど、
こんなことしとる人間がおるんかってな……あの廃棄物の所為で、サルもクマも奇形の怪物になったんやで。
ゾンビみたいにボロボロに体が崩れて、それで壊れたみたいに凶暴で……その原因を人間が作ったとか、もぉ……」
「落ち着け、お前の所為やない、とんでもないことやけど、お前の所為やない」
信じがたいものを見たことを思い出したのか、目を押さえて首を振る息子を、父は肩を抱きながら励ます。
「お前の言う通りや、世の中良い奴も悪い奴もおる、神様みたいに光り輝いて見える人間もおれば、
悪魔にしか見えない最低の人間もおるんや……でもそれが人間の可能性でもあるんや、どっちにも傾くからな。
なぁ慎一、お前は無鉄砲やけど、貴重な経験をしとるんやで、それは誇ってえぇことや」
「せやな……」
「正直言うと、お前が羨ましいんやで……俺もその、理知的な鬼に遭うてみたいわ、いや“王仁”と言うた方がえぇか」
思わせ振りにそう言った清太に、ふと慎一は目をしばたかせた……それを見て清太は笑う。
「はは、確かに発音は同じやなｗ」
そう言いながら、清太はカバンからメモ帳を取り出して、ボールペンで２つの漢字をサラサラと書いた。
１つは「鬼」そしてもう１つは「王仁」と。
「オージン？」
「普通に読んだらそうやな、でもこの２文字で『オニ』と発音するんやで。
仁の王――怪物のイメージが強いが、鬼は地獄の門番でもある、神話においても本当は誇り高い種族なんや。
ひっくり返せば『仁王』やが、仁王も門番やろ……鬼にも本来はその資質があるってことやないかな。
現にお前があの山で出遭ったのは、まさにこっちの“王仁”やろう」
「王仁、か……」
慎一はふと――自分の尊厳を認めながら話しかけてきた、瀑羅や轟羅の顔を思い出した。
民族どころか種族で違う相手を尊重し、自分たちの種族や祖先が人間たちと衝突してきた歴史を知っているのに、
敵意を優先させずに向き合う冷静さ……見た目だけならまさに“怪物”なのかも知れないが、
知性はむしろ彼らの方が成熟していてクール……返って人間の方が野蛮に見えてくるほど、彼らは冷静だった。
角が生えていたり、人間に近い体形ではあるが、顔つきは恐竜に似ているから、恐竜の子孫なのかも知れない。
恐竜は鳥類に進化したと言われているが、全てがそうだったなんて別に証明されていない。
“恐竜人類”なんて仮説があるくらいだ、人型に近い進化をした知的な種族がいたって、おかしくないじゃないか。
そうだとしたら、彼らが人類よりクールなのは当然かも知れない、彼らの方が歴史が長いのだから。
「なぁ、親父――もし、もしもやで……瀑羅たちと清明神社で暮らしたい、って言ったら、親父は許してくれるか？」
唐突に、呟くようにそう言った慎一に、清太は目を丸くした。
「は？ ――何やねん、藪から棒に」
「だからもしもって言うたやろ――人間より長い歴史を持ってるかも知れんのやで、彼らは……それが人間に追われて、
このまま衰退して絶滅していくしかないとか、余りにも酷い話やないか！」
「彼らの歴史が、人間より長いかどうか、決めつけることは出来へんぞ？」
「もちろん決めつける気はないねん、でも顔だけ見てるとまるで恐竜みたいやん、もしも恐竜の子孫に当たるんやったら、
人間よりも歴史が長いことはほぼ確実やんな？」
「気が早い結論やけどな……」
そう言いつつ清太は目を細める……確かに、証明されていないとはいえ、人間より歴史が長い可能性はある。
しかも少なくとも人類に匹敵する知性を秘める種族だ……衰退するままというのは確かに哀れであろう。
それにしても「一緒に暮らしたい」と言い出すとは……異界の落ち武者を匿ったことは確かにあるが、同居じゃない。
「まぁ――反対はせぇへんよ、でも簡単な話やないぞ、ペットを飼うどころか、同じ人間の里親より難しいかも知れん」
「あぁ、もちろんそれは分かってる」
半ば目を輝かせてそう言う息子に、清太は再び苦笑した。
|
|
緊急入院した慎一が清太の訪問を受けている頃――村はずれの林道に、複数の人影があった。
いずれも影のように黒い……山村の夜は確かに灯りがほとんどないが、どうやら黒い服を着ているようである。
わざわざ忍者のように暗がりに溶け込むような服装で、彼らは小声で何かを話している、しかも英語で。
「この山の上か――“奴ら”がいるのは」
「はい……峰伝いに並ぶ岩塊の１角に細い渓谷と洞窟があり、その中で生活しているようです」
「人類との共存が難しいとはいえ、随分と大人しく暮らしているものだな……人類よりも強大なクセに」
「全く……宝の持ち腐れとはこのことです」
黒服の１人は――まさにあのハーフ記者だった。
しかしこの黒服の集団は、どう見ても報道機関のメンバーには見えない……どうやら彼は本物の記者ではなく、
何か別の目的のためにやってきた“工作員”のようである。
「奇形化したクマを投げ飛ばして殺したことを知った時、心底そう思いましたよ」
「不思議な縁だな……あの廃棄物も我々と縁深い組織が、証拠隠滅のためにここに持ち込んだものだが、
まさかそこに奴らも潜伏していたとは、これは本当に盲点だったよ」
「その件ですが、廃棄物の投棄を任せたその組織の関係者は、どうやって処分しましょう？」
「どうやって、だと？――お前もこの平和ボケの国にいて勘が鈍ったな、どうして俺がここまで来たと思うんだ？」
「あ、あぁ――そういうことですか、申し訳ありません」
記者を演じていただろう、ハーフっぽい顔の男は、背の高い長髪の男に向かってそう言った。
背の高い長髪の男は、不気味な薄笑いを常に浮かべている……どうやらこの怪しい集団のリーダー格らしい。
「さぁ始めようか同志、クルマから“ゴミ”を出せ、一緒に処分する」
長髪の男の指示に従うように、部下らしき数人が黒塗りのミニバンの後部座席から、２つの大きな塊を出す。
黒いビニールシートにくるまれたそれはちょうど人間大で、抱き枕のように柔らかいが結構重そうに見える。
そして黒服の工作員たちは、村はずれの細い登山道を音もなく上がっていった。
これは慎一が最初に入った登山道ではなく、逆方向にある道であり、崖に沿った深い沢に到達する道だ。
ゾンビグマの死骸もこの沢で発見された……死骸は回収されたが、血痕などがまだ残っている。
警察の捜査はまだ翌日も引き続き続けられる予定であったが、彼らはそれを知っているのかいないのか。
10分ほど真っ暗な山道を上がっていくと、視界が開けて崖下の沢にたどり着いた。
この辺りだけ、削り取られたように岩場が露出しており、山道の横で沢は急に細くなって下流に続く。
そのため沢の最も幅が広くなっているところは、天然の砂防ダムのようにも見える。
部下たちはその沢の中央に、運び込んだ黒い抱き枕のような２つの荷物を置き、間もなく距離を取った。
「ではショーの開始だ、時間通りに風下に回り、標的を回収せよ、良いな？」
「了解」
言うや――長髪の男の手首に、オレンジ色の炎が煌めいた。
彼は１種の“発火能力者”なのだ……この工作員チームの指揮官であると同時に“最強の能力者”であり、
猛火を生み出せる能力とは逆に、恐ろしいほどに冷血な人物である。
男の手首から燃え上がる炎が膨らんでいくのを眺めながら、部下たちが更に距離を取って離れていく。
そしてその直後、男は闇を一文字に切り裁くように、腕を大きく横に振った。
するとまるで大型のナパーム弾でも投下したかのように、崖下の沢全体が巨大な炎の塊に包まれたのである。
炎の塊は沢の中央に置かれた２つの“荷物”を一瞬で飲み込み、岩壁を見る見るうちに焼き焦がしていく。
ともすればひんやりした空気が流れる秋の夜だが、周囲は一瞬で灼熱地獄に変貌した。
部下たちが大袈裟なほど距離を取ったのもこのためだ……高を括れば、今頃丸焼きだっただろう。
これは普通の炎ではない――摂氏数千度を超える、もはやプラズマに近い炎なのだ。
最初に炎の塊の直撃を受けた木々は燃えるというよりも、爆破されたように粉々に砕けてしまっている。
沢の中央に置かれていた物体も既にどこにあるか見えない……蒸発してしまったかも知れない。
赤々と燃える炎は山裾に沿って燃え広がっていく……火勢が峰を乗り越えるのに30分もかからないだろう。
その猛火を涼しい顔で眺めながら、長髪の男は呟くように言った。
「さぁ、出て来い、竜属の末裔よ……貴様らの能力を欲している者がいるのだ」
|
|
| （「王仁」後編に続く） |
|
【Meking Memo／設定補記】
2023年に執筆したエピソードだが、原案は1999年頃まで遡る。
ＧＤＷ世界観の原風景の１つであり、都市伝説の独自解釈として当時検討した短編構想を、
現在の解釈で焼き直したものであり、細部は異なるが基本的なシナリオは構想当時とほぼ同じである。
ギガンサウロイドの瀑羅と轟羅が初めて登場するエピソードである。
（執筆は2023年だが、構想した1999年当時も、このエピソードがギガンサウロイドの初出だった）
ギガンサウロイドのじらしフラグとして登場する奇形のサルやクマも、「放射性廃棄物不法投棄」という、
環境破壊の極めつけのようなダークサイドの化身としての役割を持っている。
（時期的に福島処理水問題を連想する方もおられそうだが、1999年の構想なので偶然である^^;）
立場的にゴジラなどに近いと言えば近いが、あんなチートな怪獣ではなく、凶暴で強大な猛獣ではあるが、
環境汚染がもたらしたミュータントという形で物語に風刺性を盛り込む狙いがある。
そしてギガンサウロイド自体も、人間に追い回される異種族というマイノリティの闇の申し子なのだ。
またエピソードの最後に登場する黒服の集団は、ネタバレすればエグゼクターの工作員たちであり、
リーダー格として登場する長髪の男は、ＺＯＡ屈指のシリアルキラーであるベータ・ラグニクだったりする。
1999年に最初の構想を作った時には、まだエグゼクターという秘密組織の設定も存在しなかったのだが、
知的で腕力の強いギガンサウロイドの軍事利用を目論む秘密結社が謀略を仕掛ける、
という基本的な構図は、既に当時の構想の時点でほぼ固まっていた。 |
